ポンド(GBP)には全く同じ意味で3つの呼び名が存在します。
イギリスはかつて大英帝国と呼ばれ、英国ポンドは世界の基軸通貨として君臨していた歴史があります。
18世紀に起こった産業革命によって大英帝国はかつてない繁栄の時代を迎え、植民地化によってアフリカやインド、東南アジアまでその影響力を強めるようになります。
しかし第一次世界大戦、第二次世界大戦によって英国やヨーロッパ圏が疲弊すると、かつての植民地には独立運動が高まり、大英帝国は急速にその力を失ってゆくのです。
現在では、代わって台頭してきたアメリカのUSドルが、世界の基軸通貨としての役割を担っています。
イギリスは欧州連合の加盟国ですが、イギリス国内におけるユーロ通貨の導入は見送っています。
しかし、それで通貨統合の可能性が消えたわけではなく、今後もイギリス国内にはユーロ導入を再検討する可能性がずっと残り続けることになるでしょう。
2016年6月に英国でユーロ離脱の国民投票が行われ、英国のユーロ離脱が決定しました。通貨統合どころか、ユーロを脱退してしまいましたね。移民受け入れ問題や感情によって離脱派が優勢となったようですが、この決定は覆らないのだろうか。
ジョージ・ソロスは「イングランド銀行を叩き潰した男」としてその名が知られています。
ポンド危機(1992年)を扇動した張本人とも呼ばれており、ポンド危機には100億ドル(1兆円)のポンド売りを浴びせ、一連の騒動で20億ドル相当を荒稼ぎしたともいわれています。
イングランド銀行は当時、欧州為替相場メカニズム(ERM)によってヨーロッパ各国との金利差を原則固定させるように金利設定を行っていました。このERMによって、英国ポンドの価格レートは実体経済よりも高めに推移していたのです。
ジョージ・ソロスは、この経済的不均衡に目を付け、100億ドル(1兆円)という巨額な英国ポンド売りを敢行、それに呼応するかのように世界中のヘッジファンドが英国ポンド売りに走ります。
イングランド銀行はポンド買い支えのために、市場介入や金利の急激な引き上げを行いましたが、ポンドを買い支えることができず、ポンド危機と呼ばれる大暴落が起こりました。
私がポンドの値動きを連想するときに、一番最初に思い当たった特徴です。
ポンドは、英国経済指標の発表と同時に一方向へ一気に動くことが多いです。
これはポンドドル(GBP/JSD)に限らず、ユーロポンド(EUR/GBP)などのクロスポンド通貨ペア全般で同様な動きが見られるので、ポンドが単独で積極売買されていることを物語っています。
ポンドドルとユーロポンドの逆相関。英国指標の発表と同時にポンドが売り叩かれています。
欧州経済圏として関係がありそうなユーロですが、これらの急激な値動きにユーロドルなどはほとんど影響を受けていません。
ただし、このポンドドルやユーロポンドの値動き次第では、次のユーロドルの動きもおおよそ見当が付くこともあり、ポンドはユーロの値動きを先導する先行通貨としての一面もあります。
ポンドの流動性は非常に高く、一見何でもないような経済指標発表でも、投機筋が示し合わせたかのように50~100pips動かしてくることもよくあります。この高い流動性のために投機筋が参入している一方、資金管理の甘いトレーダーは破産に追い込まれるケースも多く、ポンドは別名「殺人通貨」と呼ばれています。
火遊び厳禁。そーいや昔、夫に内緒でポンド円で巨額の損失出して、思考停止した主婦が居たなぁ。
FX歴 | 16年(2008年~) |
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年利 | 8~15%(破産確率を考慮) |